京都旅行 デジブックへ 祇園祭 デジブック広場へ HOME
5月の行事
葵祭(あおいまつり)は、京都の上賀茂神社・下鴨神社の例祭で、毎年5月15日に行われます。春日祭、石清水祭とともに三大勅祭(ちょくさい:天皇の命令によって営まれる祭)に数えられ、京都三大祭(葵祭・祇園祭・時代祭)の中でも最も歴史が古く、平安時代には「祭」といえば葵祭を指すほど隆盛を極めました。

祭りの主役・斎王代(さいおうだい)をはじめ、平安貴族そのままの古典装束の行列が京都御所を出発、下鴨神社を経て上賀茂神社へ向かい、初夏の京都に王朝絵巻を繰り広げます。
行列に参加する牛車などに厄除けの葵(あおい)を飾ることから「葵祭」と呼ばれます。葵には雷と地震除けの霊力があるとされ、かつては家々の軒に葵の葉をつるしていました。

葵祭は、欽明天皇の時代・西暦567年、風水害による不作に対し朝廷が豊穣を祈願したのが始まりとされます。風水害は賀茂の神々の祟(たた)りであるとの占いから、皇子を勅使に立て、馬に鈴を付けて走らせ、賀茂神をあつく祭ると風雨がおさまり五穀は豊かに実り、国は安泰になったと伝えられています。嵯峨天皇の時代に皇女を祭りに奉仕させて以来、斎王が祭りの主宰となり、国家的な祭りとなりました。


7月の行事

 「コンチキチ」の祇園囃子(きおんばやし)で親しまれている祇園祭(ぎおんまつり)は、京都・祇園の八坂神社の祭礼です。葵祭、時代祭とともに京都の三大祭のひとつであり、日本三大祭り(東京の山王祭または神田祭、大阪の天神祭、祇園祭)にも数えられます。
貞観11年(869年)、都をはじめ各地に疫病(えきびょう)が流行した平安時代に、病魔の退散を願って鉾(ほこ)を建て御輿(みこし)をかついで祈祷(きとう)したのが祇園祭の起源といわれます。古くは「祇園御霊会(ごりょうえ)」と呼ばれていました。
祇園祭は、7月1日、神事始めの儀式「吉符入(きっぷいり)」で始まり、31日の「疫神社(えきじんのやしろ)夏越祓」で幕を閉じるまで、まる1カ月かけて各種の神事・行事が行われます。祭りのクライマックスである7月16日の「宵山(よいやま)」と7月17日の「山鉾巡行(やまほこ じゅんこう)」には、毎年多くの見物客が訪れ、蒸し暑い京都の夏にさらに熱気を加えます。


8月の行事
京都・五山の送り火は、各地で行われるお盆の精霊送りの中でも有名で、大文字の送り火として知られています。

五山の送り火は、
東山・如意ケ獄の「大文字」
松ヶ崎・西山(万灯籠山)東山(黒天山)の「妙・法」
西賀茂・形山の「船形」
大北山の「左大文字」
嵯峨・曼荼羅山の「鳥居形」
の5つの火文字です。8月16日の午後8時、東山の大文字を皮切りに、西へ次々と送り火が点火されて、古都の夜空を焦がします。

東西にひとつずつある「大」は人間を、「鳥居」は神道を、「妙法」は仏教を、「船形」はお盆の精霊船を形どり、5つの送り火を合わせて「仏教徒も神道人も船に乗って安らかに浄土へお帰りください」との意味が込められているともいわれます。
古くは、市原の「い」、鳴滝の「一」、西山の「竹の先に鈴」、北嵯峨の「蛇」、観音寺村の「長刀」なども送り火が点火されていたそうです。

9月の行事
石清水祭(いわしみずさい)は、京都府八幡市(やわたし)にある石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の例祭です。葵祭・春日祭とともに三大勅祭(ちょくさい:天皇の命令によって営まれる祭)に数えられます。
清和天皇の貞観5年(863年)に、日頃殺生している鳥や魚の霊を慰めるための行事・石清水放生会(ほうじょうえ)として始まった歴史を有し、葵祭の「北祭」に対して「南祭」とも称されました。

祭は未明に始まります。御祭神の八幡三神を、山上の本殿から三基の鳳輦(ほうれん)に移し下山する「神幸(しんこう)の儀」では、鳳輦に500人を超えるお供の時代行列が付き従い、平安の王朝絵巻を繰り広げます。
池に鯉や小鳥を放つ「放生行事(ほうじょうぎょうじ)」や、舞楽や演武の奉納ほか様々な神事が行われます。

10月の行事
時代祭は、平安神宮の例祭です。平安神宮創建と京都の遷都1100年祭を奉祝する行事として、1895年(明治28年)から始まりました。葵祭、祇園祭とともに京都の三大祭のひとつに数えられます。

平安神宮は、平安遷都1100年を記念し、明治28年に桓武天皇を祭神として創建されました。
祭りは、桓武天皇が平安京に移られた記念日・京都の誕生日である10月22日に、京都の風俗変遷・歴史と文化を再現するものです。
京都御所から平安神宮まで、明治維新から江戸、安土桃山、吉野、鎌倉、藤原、延暦へとさかのぼる時代行列が練り歩き、歴史絵巻を繰り広げます。




高画質スライドショー 音楽


inserted by FC2 system